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身体と自然 14 三鷹 整体 ストレッチ 呼吸法 カウンセリング


身体と自然 14

人間の叡智は「自然」からいただき、「自然」を真似、「自然」を工夫することで発達してきた。この列島でもいつからか大陸原産の稲の作り方が伝わり、人々も集団化していく。それにつれてリーダー的存在(集団の中心)も必要になっていった。

リーダー的存在を思うとき、現代に生きる僕たちはすぐに男性の力と才知を想像する。僕たちが教えられてきた歴史が男性を中心に展開したものだからだが、はたして原始の時代もそうであったろうか。

まだまだ自然が人間の前に立ちはだかっていた頃の話である。恵みは常に自然からいただいた。労力としては圧倒的に男性がその力を発揮したことは確かだと思われる。だが、稲の実りは自然に委ねるしかない。

実りをもたらす「自然」は驚異であり、豊穣は奇跡であった。ならば、自然と同じ驚異と奇跡を有するものがリーダー(中心)となるだろう。はたして、それは「産む身体」をおいて他にはなかった。

父権的な族長が登場する前は母権社会であったであろうとするのは歴史学でも常識であるが、それは生物学的生態としても至極当たり前のことである。

子の誕生は生物として最大の営為である。人間以外の生物を見ればよくわかる。ほとんどすべての生物が種の保存のための営為である。サケの産卵のための遡上など可哀想なくらいである。人間は種の保存以上を望む奇種であろう。それでも、子の誕生が人生最大の喜びとする人々もたくさんいる。ここに「自然身体」の原点がある。原始、子の誕生は大いなる実りとして理解されていたのである。自然と「産む身体」はそれほど分化していなかった。

喜びと奇跡をもたらす「産む身体」への崇敬は縄文期の土偶にみてとれる。発掘された土偶の中におびただしい数の妊婦の像が見つかっている。古来より埋葬品とは聖なるものの象徴である。その品々は祈りであり供儀でもあった。また、魔除けとしての装飾品も大切に扱われた。

平均年齢が40歳に満たない時代の出産は大変であったろう。人々は妊婦と子の無事を願って、また、はからずも亡くなってしまった母や子を弔うために、こうした妊婦の土偶を作ったと思われるが、そうしたことも踏まえたうえで「産む身体」は神聖視されていたと思わずにはいられない。母(自然)とはすべての生みの親のことである。それが、聖性をもつものでなくて何であろう。

言語が整う前の話である。子の教育は父母がするのではなく自然が教えてくれる。子は父母の動きを見てその対応を学ぶ。日本的身体感性はこうした原始の関係性を内在化して磨かれていったものと僕は考えるのである。

列島大地に内包された女性的原理は日本民族が男性的エネルギーにシフトする以前に集合的な無意識領域に忍び込み、万全の体制を備えていったと言えるだろう。

地球規模でみれば「産む身体への崇敬」から「生きる身体への執念」のシフトは数万年をかけて徐々に進行していった。すべての生みの親である「自然」に従順を強いられる在りように業を煮やしたのは男性的原理である。生まれるのを待っているだけでは自然に支配されっぱなしではないか。生きる意欲としての男性原理は「冒険」に任を託した。

「冒険」には反自然も含まれる。余りに自然と連動した身体生理を有する女性に反自然は無理である。よって「冒険」は男性的原理を代表するものとしてあるだろう。

原始の時代、奇跡(出産)を指を加えて見ているしかなかった男たちのエネルギーが頭をもたげたのである。男性的な原理は、まず個(自分)を自然から引き剥がしにかかった。「私」という概念の登場である。

それは人間がはじめて独自の中心を得た瞬間であろう。ここから言葉が生まれ、コミュニケーションが多様になり、時間と空間の認識が変わり、内と外がはっきりし、過去と未来が遠望できるようになる。。

子供の成長過程に重なるこれらの事柄はみな「私」(子共そのもの)の構築に関与することからして理解されるだろう。つまり、人間は自然とは違う形で創造する方向に向かったのである。

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