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身体と自然 13 三鷹 整体 ストレッチ 呼吸法 カウンセリング


身体と自然 13

母なる列島に頼り切った民族の幼児性という負の側面も含め、僕は圧倒的な女性原理に包まれた国として日本をみる。それは日本の女性が強いとか偉くて、男性が弱くだらしないというような一方の性の優位を語るものではない。

それは10万年以上も前に日本に渡って来た人々から、次々と上陸してきた来た人々がこの列島風土に暮らし続けてきて今に至る、その血肉から心の髄まで染まった色合いのことである。

原始時代の人間にとって、特に男性にとっての奇跡は子供の誕生であろう。子供を産むのは女性である。そして子供は母の乳により育っていく。男には産むということの機能も実感もないのに対して、自然の摂理により近い性として女性はいる。

太陽や月との関係において地球はあらゆるものを生み出してきた。水も風も雲も虹だって地球が生み出すものである。僕たちは地球そのものと地球が生み出すすべての現象を指して「自然」と呼んでいる。すなわち、地球自然とは「生み出す」ものである。

メスは原始単性生殖生物の直系であり、オスはその系からの枝分かれである。オスの分離によって生命世界はダイナミックな展開をみせはじめるのだが、「自然」とは「生み出すもの」である限りその中心は女性的原理であると言ってよい。

女性の身体メカニズムが潮の満ち干や月の運行と連動しながら、体内季節も日替わりの体内気候も有していることを見れば頷けると思う。女性は身体生命の流れが自然に即したかたちで変幻する。しかし、自然はオスたちに生殖に必要な精子の保持のみを受け持たせた。オス及び男性身体には生むという自然メカニズムがないのである。人間の男の生きる原動力となったのは過剰な性欲本能であった。極論だが、その方が分かり易い。

 まだ人類が種として右往左往していた原始の時代、信じ難い出来事は人間の側に起こるのではなく自然の側に発生した。男たちにとって女性は「産む身体」という意味において自然の側であった。「自然」と「産む身体」は同じレベルで圧倒的な驚異であったに違いない。

列島の「自然精神」と「生む身体」(女性)は畏怖すべき存在として、見えないかたちで民族体内に刻まれていく。そのような見立てから、日本の自然の豊かさがいろいろなものの誕生として裏付けられる。それは女性原理の色合いが濃く浸透しているということになる。

そして、その女性的原理が日本民族の集合的な無意識領域に深く根を下ろしているとみるならば、得体の知れないものに「おんぶに抱っこ」する安心感も、無責任な事なかれ主義も、そのルーツは極め付きの「自然信仰」にあるのではないだろうか。原始的アニミズムをもっと昇華した形で生き続けてきた「自然信仰」、その本質は「母性崇拝」とも呼べるものである。

 自然(母性)を言祝ぎ、準備をして、ただ「生まれるのを待つ」ことに労を尽くす「自然信仰」の道は、当然ながら言語形成にも影響を及ぼした。日本の言葉は自然(母性)と個人を厳密に分ける言語的理性を鍛える方向にはいかなかった。男性的な原理であるところの、個を立ち上がらせる言語(意識)が発達しなかったのは、「みんなと一緒」が重要だったからだ。「みんなと一緒」の「みんな」には他者のみならず「自然」が含まれているからである。

 どこかで毛嫌いしながらも吸い込まれなびいていく「みんなと一緒」の場、日本民族の集団性に対する価値観はここに極まる。言葉も独立を図る言語野からではなく小自然たる身体が大自然から紡ぎ出したものであった。それが日本の「うた」(言霊)の由来であろう。日本は「~から独立を図る」という意思と経験が民族的にも個人的にもなかったのである。

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