ブログ

ブログ詳細

身体と自然 12 三鷹 整体 ストレッチ カウンセリング 呼吸法


身体と自然 12

「見ればわかる」ということは「言葉にしなくてもよい」ということではないが、
日本人は「みる」ことの深い洞察に長けていた反面、言葉の力は情緒に流れていった。
それを、自らの気持ちを土地と自然風景の移り変わりに結びつけての「うた」にみることができる。
万葉集をはじめとして、古事記も、その後の数多の和歌集も。

日本人は歌って、謡って、詠ってきたのである。貴族だけに限らず、東国から派遣された防人のような一般の人まで歌を詠んだのである。
俳句や短歌もそのわずかに限られた文字に凝縮された深い思いを描写するが、
それらは声に出して響かせ相手を越えて彼方(聖なるものや自然)に届けるものとしてあった。
或いは、天地自然の姿にわが身の思いを重ねて湧き上がる情の浄化システムとしてあった。
歌はほかならぬ「言霊」として理解されていた。

それこそ、自然と身体のエネルギーの調和なくして歌は生まれないのである。
「言霊」とは、生きてる自然と生きてる身体の交響曲としての「うた」である。

彼らは土地そのものを言祝いだ。いろいろな歌に数々の地名が登場することからも察することができる。
そこにも大地や故郷への愛着が見え隠れする。

だが、雲や月や草木花に喩える表現が発達する一方で、僕たちのロゴス(理性)は眠ったままである。
現在の人類が地球上に現れて100万年、その何処かのポイントで人類は自らを自然から引き剥がしはじめた。
自意識というものが強化され脳内には「客観」が殻を破って登場してきた。

人類は自分とそれ以外を分け、モノに名前をつけ、宇宙自然の摂理に人工的な仕組みを組み込んでいったわけだが、
わが民族の文化文明の組み込み方はどこかなし崩し的なところがあるように思えてならない。
そのなし崩し的な感覚を別の言葉にすると、何か得体の知れないものに「おんぶに抱っこ」している妙な安心感である。

最近では、東日本大震災以降のエネルギー政策などに顕著にみられる。あの福島原発の事故の教訓は完全に風化してしまった。
過去に対しても未来に対しても見事に責任を回避するその習性はどこからくるのだろう。
問題が発生したとき、解決の道よりも、問題そのものをなきこととして処理しようとする事なかれ主義。

その事なかれ主義を支えている心性こそが列島環境と一枚岩になっているところの身体感性の負の側面ではないだろうか。
民族がとりあえず単一で、海に囲まれ敵が隣り合わせにいなかったことも大きな要素だったと思われるが、
ゼロから論理を組み立てたり、物事に対して「何故だろう?」という疑問からの突き詰めた回答を得ようとしない思考のパターンが
最大の要因ではないかと僕は考えている。

そして、この思考のパターンこそが良くも悪くも日本の歴史を作り支えてきたのだと。
得体の知れないものに「おんぶに抱っこ」する安心感、それこそが母なる列島に頼り切った民族の幼児性を示すものとしてある。
言葉にきちんと表現しなくても「見ればわかる」というのは、ほかならぬ母親のわが子に対する視線だったのである。

■からだはうす
TEL     0422−38−8656
営業時間  通常日 :10:00~21:00 (最終受付20:00)
      水・木 : 10:00~19:00 (最終受付18:00)
定休日   お問い合わせください

■トリートメントルーム satowa
TEL     090-4417-3434
営業時間  平日:12:00~21:00
      日曜・祝日:11:00~21:00
定休日   第2日曜日
  • facebook
  • twitter
  • mixi