2014.11.12
身体と自然 9 三鷹 整体 ストレッチ カウンセリング 呼吸法
身体と自然 9
世界には紀元前数千年に文明が開いた地がいくつもある。
日本でも紀元前1万年には人が棲んでいたらしいが、それなりの人数が極東の小島に集まるには長い時を要したのだろう。
歴史が動き始めたのは紀元を跨いでからである。
それまでに、西の風に乗って朝鮮半島や大陸から流れてきた人や技術や食の糧や生活の利器があった。
南方から海流に乗ってきたものもあったろう。
地理的に日本はどん詰まりである。これは日本的身体感性を考えるうえで重要なポイントだと僕は思っている。
風は西から吹いてくる。文明も西からやってきてやっとこさ我が列島に上陸する。
東のどんづまり、そこから先へは流れない。それこそ吹き溜まりとなる。
上陸した情報や技術や品物の多くは大陸生まれの大陸育ちである。
ほおって置けばぐちゃぐちゃになっていく。しかも、そのまま使うには使い勝手が悪い。
それはこじんまりとした柔らかい列島には合わない。
ではどうしたか。
日本は他民族に征服されたことがないので、異邦人の風習を強制させられることがなかった。
ということは、日本に流れてきた情報や技術や品物を自由に日本化することができた。
つまり、日本風にアレンジしていった。ここに日本技術の特徴である「アレンジする力」が目覚めていった。
仏教にしても言語(漢字)にしても、近くは明治開国の西洋化にしても見事なアレンジを施し日本化していった。
そうしたことに支配層と被支配層との極端な軋轢もなかった。そういう意味で日本はいつも一枚岩であった。
それは情報が常に一方通行だったということ。ネットの広がりをもって初めて僕たちは双方向、多方向の世界を経験することになる。
難しいものは簡単に、大きなものは小さくして、より細部にこだわっていく。工芸品の極彩美、その肌めの細かさに頷けるだろう。
広げたり付け加えるのではなく、もののエッセンス(ときには精神性のみ)を搾り出してコンパクトに収めていく。
枯山水の竜安寺の石庭のように。
「身体で覚える」ための最初は「真似」である。真似るためには見なければならない。
こうして「みる」力と「真似る」術を土台にして身体的感性の感度が磨かれていったのだ。
列島の自然から発せられるエネルギーは直接身体に内在化され、
そのエネルギーは眼と手から「場と時間とに結合したもの」の内部を凝視し、工作していった。
日本人の技術導入の卓越さは西から入ってくるものを受け入れ、真似て、アレンジして、独自のものに仕立て上げていくプロセスにある。
明治開国以来のアジアの他の国々との違いは眼と手にあったのだ。
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