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身体と自然 7 三鷹 整体 カウンセリング ストレッチ 呼吸法


身体と自然 7

祓い清める作法は言葉を変えれば「掃除」することだ。日本では神社仏閣をはじめ、職人の仕事場や道具の手入れでも、稽古場や、
道場でも「掃除」はまず第一義の作業となる。新人研修にトイレ掃除などをする会社もある。

日本において、なぜそれほどに「掃除」が重要視されたのか。古事記的にみれば、それは清めることから神が出現するということになる。
僕ふうに言えば、ごちゃごちゃと乱雑な場では神の現われを見逃してしまうからである。

神が、或いは、聖なる時間がどのように現れるかは予想がつかない。日本の神は誰でもわかるような堂々とした姿で登場はしない。
神社やお寺に行けば、それぞれの偶像を拝む。しかし、日常で目の前に座す神様を信仰する人はいない。初詣をみればわかる。
日本人の神意識は、神々しい山々を別とすれば、ほのかな光の陰影や一瞬木々を揺らす風、わずかに聞こえる闇の音の察知にある。
神はほんのちょっとした場の動きや風景の隙間をぬっておとづれるのである。その瞬間、連続しているはずの意識体が一瞬脱落する。

僕は昔からその瞬間を「人さらいの風が吹く」と表現しているのだが・・・一瞬の非日常において、身体も意識も心もリセットされる。
そのための場作りが「掃除」なのである。時空を新しくするための「掃除」は自らの心身と場に神を招くための祈りの作法である。

「掃除」は生産的でも創造的でもない。面白くもなんともない。それは人の意図や意識以前の、つまり欲望を鎮める時間として設定される。
そのために、かつてはどんな場所でも新規参入者は「掃除」を課せられたのである。そうした場を清める行において、
神を見いだす眼と感じる肌を鍛えていった。それが一般に習慣化した「掃除」の意義である。

日本の「みる文化」は目を洗い清めるイザナキの行為に象徴されるような形で身体化していったと僕は考えている。
駄洒落でもないが、場や身体が洗われることによって聖なる何かが現れるのである。

現在、学校では生徒が掃除をすることはないと聞く。
それは、子供から大人へと成長するときの通過儀礼を省略したということ。見ることの深遠を記憶(生きた感覚)から記録(映像画面)に変換した。
僕たちは子供たちが大きくため息をする少しの時間さえ奪ってしまった。日本の伝統文化は単なる見世物になっていくだろう。
いや、そう言えるのなら、世界の出来事がすべて見世物になっていく日は近い。

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