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身体と自然 6 三鷹 整体 カウンセリング 呼吸法


身体と自然 6

男はいつも我慢ができなくて覗いてしまう。

死んだイザナミを追って黄泉の国に着いたイザナキは戻るよう懇願する。
イザナミは黄泉の国の神と相談するから、待ってる間に自分を見てはいけないと言った。
待たす女に待てない男、昔話に定番のシチュエーションだ。だが、男は待てずに必ず見てしまうのだ。

イザナキが見たものは、たくさんの蛆や雷神にたかられた醜いイザナミの姿だった。
恐れをなして逃げ出すイザナキ、追いかけるイザナミ。途中でイザナキが髪飾りや櫛を投げるとそこから山葡萄と筍が生まれる。それを追っ手が食べてる間に逃げる。最後に地上世界と黄泉の国の境を大きな石で塞いでこの世に戻ってくる。この危機的状況から逃れるためのアイテムとして山葡萄や筍や桃が出てくるとは豊穣な自然国土を意識したものではないだろうか。

イザナキは黄泉の国の穢れを清めるために自らの体を洗うことにする。この祓いの儀でもたくさんの神が生まれるが、またもやスターは最後に生まれる。左の目からはアマテラス、右の目からはツクヨミ、そして鼻からはスサノオが誕生するのである。イザナキの神生みはこれで終わる。そして、アマテラスには高天の原、ツクヨミは夜の国、スサノオには海原の国の支配を任せた。

この三貴神誕生のシーンは身体と自然との関係において、日本的な文化伝統のシンボリックな場面を示していると僕は考える。穢れを祓い清めるという作法、それを水にて行ったということ、アマテラスとツクヨミが目から生まれたということである。

「水」は飲み水に限らず、稲作を筆頭に大地の植物に欠かせない大切なものである。「水」があるから木があり森がある。木によって気を知る。海という水中には貝や魚の食糧源が豊富にある。
そして、水を使って家や身体を清める習慣は、汚れを落とすだけでなく生命の源である水の息吹を新たに注入する儀である。

沐浴や風呂に入る習慣は紀元前から世界の各地にみられるが、日本では神道と結びつけた宗教的な儀式として水行や滝行として現代にも引き継がれている。風土としての湿気や多様な水害の多さも含め、日本では「水」がクローズアップされる。

アマテラスは天皇家の最高皇祖神として崇められる。不思議なことにアマテラス教という宗教はないが、正月にもなると、日本中の床の間に天照皇大神の掛け軸が例外なくぶら下がる。やはり日本は天皇家と共にあると感じずにはいられない。

目は光と闇を象徴する。しかし、日本人の繊細な身体内感性はアマテラスよりむしろ、神話の系譜から外れたツクヨミの視線ではないだろうか。表舞台から姿を消したツクヨミはきっとわれわれの身体のなかに居を移したのだ。

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