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身体と自然 2 三鷹 整体・カウンセリング


卓越した身体感覚をどこにみるかというと、それは日本が世界に誇れる文化的、職業的技術をみれば一目瞭然である。 列挙してみよう。伝統芸能の能、狂言、歌舞伎やおよそ「道」と名のつく諸々の文化遺産(茶道・華道・書道・合気道・柔道・剣道など)がある。 それに指圧や美容など身体に触れる技もそのセンスは群を抜く。他にも、伝統的な美術工芸品に精緻の極みを印し、 それを引き継ぐ町工場の匠たちの技は板金の厚さを千分の一ミリまで感覚する超人技である。 これらの感覚・技・作法・振る舞いの出所に日本民族の身体性の傑出がみられる。すべて身体に関わっている。 加えて、近年世界を席巻するアニメーションやコスプレも基本は手作業からはじまった「みる文化」である。 夏休みの絵日記はかつての絵巻物語をなぞったものであるかもしれない。

昔の職人たちは新米に言葉で教えることはしなかった。彼らは「身体で覚えろ!」「見て盗め!」という方法で弟子を育てていく。 身体性の洗練はまず「見る」ことからである。「子共は親の背中を見て育つ」という言われ方もした。 こんな非効率な教育が仕事に対する美意識を醸成していったのである。

日本人の勤勉さはどこからくるか、それは身体に対する集中力が優れているというこのただ一点からだと僕は思っている。 もし、日本人が性質的に真面目であるとするなら、それは道徳や倫理感が優秀だからでは決してない。 身体的集中力は禅的な引き締まり方と相まって洗練された独特の美意識に昇華されていった。日本民族は目的として勤勉になったのではなく結果としての勤勉さなのだ。

擬態語の豊富さも外界のある様態や身体の微妙な感覚を絵を見るようにみんなが共有できる半言葉として必然的に登場したものであろう。 イライラ、ザワザワ、モリモリ、ツンツン、ショボショボ、フラフラ、ギシギシ、ピリピリ、キリキリ等など。 これらの半言葉は心身の痛みや不快の感覚を表現したものだが、 このわずか2音節の感覚言語が示す像を日本人全員が同じように身体内に擬似イメージできるのである。 なんという説明の省き方だ。なんという身体的共有感であろう。いい例が、一大ブームにもなった「北斗の拳」という漫画だ。 まさに僕たちは身体で覚えてきたのである。            

日本人は欧米人と比してコミュニケーション能力が劣っていると言われる。それはボディランゲージにも言えると。 スキンシップが下手なのも確かだ。それは気持ちの表明や物事の説明が意味的に表現されないことからくる。 「言わなくたってわかるだろ」ふざけた話だが、それがまかり通ってきてしまった。察しない方がおかしいのだと。 しかし、そこには当たり前のように身体内共有感覚が前提としてある。 そこには、言語化以前に自分たちはコミュニケーションしているんだとする生命存在への信頼がある。 それを、水という生命の源に支えられた一様な自然風土(時を違えながらそれぞれの地域で似たように移り変わる四季) を共有してきた民族の身体内文化として捉えることもできる。 自然と対峙し変えていくのではなく、自然と寄り添って共に生きることが日本列島では可能だったのである。 日本文化の「気配り」や「間」や「もののあはれ」は事物への執着から離れ、身体内自然の深奥を見つめたものである。

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