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戸隠参詣顛末記 ’14 その5〜三鷹武蔵境整体〜


踊るということ

 

いつも踊りについては語るを端折ってきたが、今回は少し書いてみたい。
踊る人は踊りそのもので語る。なんの御託も必要ない。しかし、10周年という

節目の年でもあり、自らの自覚という意味での能書きも許されたい。

僕の舞踏は茫然と立ち尽くす、或いは、ギリギリと地に縛られることから始まった。

解答のない謎の海に溺れるがごとく姿態は、生まれたばかりの、突然に見知らぬ世界に

放り出された赤ん坊の内面感覚に相似するだろう。何の技も知もなく、

ただただ、母への引力と叫びだけの世界。
人間の赤ん坊として生まれることは恐ろしい異界に投げだされるということだ。

ゆえに人間は誕生時から救済を必要としている。

 

人類はその生命史のどこかで母なる救済から父なる救済に移行したと僕は思っているが、

人間が救われるものから救おうとするものにシフトしたのである。
神に近づくためのステップとして王を作り、やがて、王は神を取り込み人々は王を囲んだ。
それを文化文明と言っても差し支えないが、同時にそれは原始の恐怖と叫びを

隠蔽するという副産物を生んだ。自然から「私」を引き剥がした人間のカルマの登場である。

僕が舞踏を続けてきたのはそうしたことも含めて、この地球という星に人として生まれた

不思議感、人間社会の営みに驚愕し続ける原始感覚が消えないからだ。
赤子に必要なものは母である。何の技も知もなく、ただ立ち尽くす。

僕は舞踏における「母」を捜す旅に出た。
ちょっとかっこ悪いかもしれないが、母を忘れた父になど僕はなれないのだ。
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気がつけば、それは自意識をあぶりだす作業であった。

最初から最後までの即興舞踏は自由であるがゆえに自らの不自由さが浮き彫りになる。
何をしても何もしなくても、僕の内面は情けなく苦痛に満ち、正解を探す

「私」で一杯なのだった。

即興舞踏においてはこのみっともなさが唯一の手がかりである。

やがて、打ちのめされ、のた打ち回る不自由な内的感覚の亀裂の奥に

「自然」が顔を覗かせていることに気がつく。
自然は圧倒的に即興であり徹底的に意図がない。

だが、本来僕たちの生活も即興のはずだ。

なぜなら、この身体生命の基本は自然エレメントだからである。
それは、地火水風雷光の合体エネルギー現象が実体化したものである。

僕の身体はすでに即興態であったのだ。

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