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男性に宿る欠乏感 〜 三鷹 整体 呼吸法 デトックス ストレッチ カウンセリング


全身に漲る力が性器の怒張に象徴されるとはいえ、男はそのままを維持することができない。精子の放出後は萎えるのである。そしてまたゼロからスタートする。それは、男の行き着いた先のリアリティーに身体的果実が用意されていないことを意味する。

 

もっとも充実した状態からスタートして、虚空を掴むようなゴールが設定される。男の性の旺盛さは実りなき営為そのものから生まれる。得るものがないがゆえに繰り返されるのだ。

 

私には、夏の夜空に打ち上げられる花火に男たちの生態(精子たちが散っていく様)が重なって見えてくる。散ると言えば、先の大戦で利なき戦略の犠牲になった特攻兵を思うが、あまりに単純な男の身体生理に順じた戦法であったことか。ああ、旧日本軍の原始的感性!

 

満ちた力が放出された後はある種の虚脱状態となる。男とはまことに奉仕としての生き物である。女性は逆に、空っぽの所に実質感が満ちてくる(胎児という果実)。

 

しかし、このゼロからスタートして全身に力を漲らせ、放出して果てるという機能に男性独自の原動力があると私は考える。それは、身体的に果実が得られないことからくる欠乏感である。

 

男には、性行為において、自らの満足よりも相手の喜びや満足の方に重きが置かれているということがある。相手が喜ばないと面目が立たないと同時に、欠如や欠乏の感覚の埋め合わせをしてくれるものが、女性の喜びや満足感なのである。

 

けれども、いったい誰が女性に完璧な満足を与えることができるというのか、いたとしたら私は訝しむ。こうした話のとき、男はすぐに精力の強さを想像するが、女性にとって精力の強さは満足の一部でしかない。では他に何があるのか。それこそ男性自身が考えねばならないことなので、敢えて言わないことにする。

 

女性が喜ぶことに関しては、こんなたとえにも似る。マイホームを購入した男性は、建物そのものに満足するわけではない。女房子供が喜ぶから、自分も満足するのである。多くの男性の内部では最終的にどこで野垂れ死にしてもよいとどこかで思っているものだ。家という建物を喜ぶのは女房子供なのである。

 

となると、男の満足には女性や他者の満足が必須である。だが、困ったことに女性はそう簡単には満足しないのである。というより、満足のキャパが広がっていくのでなかなか追いつかないのだ。

 

家を建てたら、壁の色カーテンの生地、どういう家具が等々とはじまる。男はローンを背負って、どうせ俺は寝に帰るだけだから・・・と。日本的サラリーマンの典型だが、その深部には満たされない感覚が残る。

 

男は、俺はこれで充分であるという感覚が身体的に発生しにくい。そのため、それに変わるものを設定した。それが、富であり、地位であり、名誉名声であり、ブランドである。行き場を無くした性エネルギーだけでなく、純正な性エネルギーそのものからも生み出される欠乏感はそれらの社会的に優位性を強調するものに肩代わりされていくのである。

 

女性もまた、それらに惹かれざるを得ない。それらは広がり続ける満足のキャパを埋めてくれる要因となるものであるから。

 

男の欠乏感は責任に対する淡い感性(だらしなさ)に通じるものだが、まだだ、まだだという自制的習性にも一役買っている。

 

男とは自制的な生き物である。男が自制的でなかったとしたら、社会は成り立たないであろう。精神年齢が6歳くらいの大人の男たちばかりの世界を想像できるだろうか。

 

発情期が解除された性エネルギーの暴発を制御するということはそれほどに重要なことであった。暴発を防ぎながら性エネルギーを大脳皮質に送り込んで昇華作用を起こすには欠乏感覚(何かが足りない)という原動力が必要だったのである。

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