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暴力の開花 〜 三鷹 整体 呼吸法 デトックス ストレッチ カウンセリング


生物は自らの命を維持する為に食し、自らの種を残す為に生殖の行為に勤しむ。これまでバクテリアから霊長類まで生物は進化してきたわけだが、食物連鎖の環、自然摂理の範囲を逸脱したのが人類であった。私はその逸脱した過剰な力にこそ暴力性が潜んでいるように思う。

 

動物たちが獲物を狩る行為は暴力ではない。人類は自らの命の維持と種の保存の為に大脳を発達させ知恵を活かした。それも当初は生物種としての必然であったろう。

 

しかし、その知恵は必要以上の欲望をも引っ張り出してしまった。言うなれば、文明とは過剰な欲望の所産である。食の豊かさを追求する知恵にも、性エネルギーを制御する知恵にも暴力性がまとわりつくことになった。私たち人類は史上最も暴力性を帯びた生物となったのである。

 

単純なところでは、歴史は幾多の大小の戦いを中心に展開してきた。数多く殺した側がほぼ覇権を握り支配する。私たちは何も不思議と感じることなく、いや、むしろ当然のごとく教科書をめくり、本を読み、映画やドラマの中にそんな殺し合いを見て感動したりもする。動物のように相手を喰らう為の殺しではない。同じ生物種が殺し合い、そして、ただ捨ててきた。

 

人間はその殺し合いの背景に巧みに正義と善を仕掛けて肯定してきた。死と隣り合わせの原始的な生活から抜け出そうと、あらゆる手立てと言い訳を考案してきた。自らの命を存続させる為にはどんな行為も厭わない、そう思うことができた人間だけが生き延びてきたのである。それが私たちの祖先であり私たち自身である。

 

食を生産する力を持つことの副作用から過剰な欲望も生まれ、食餌と生殖を奪い合うようになる。食と性のエネルギーは絶大である。それは人間的創造の源泉でもある。

 

人間的創造を文化文明と言い換えてもよいが、この文化文明の発達が奪い合い(戦い)に意味を持たせ、人間は戦いに勝ち続けることによってしか戦いが無くなることはないという摩訶不思議な論理に囚われてしまった。それは現在の民主主義?のあらゆる現場でも戦い(競争)に勝利することが強調されていることからも理解できる。私たちの身体感性の中に戦いへの肯定が刻印されいるのである。

 

今でも、世界中で大きなものから小さなものまで殺戮は絶えることなく続いている。近年、日本に限らずあちこちで火山の噴火が起きているが、もっとも爆発噴火しているのは人間の暴力だろう。

 

人間はこの地球を舞台にして好き勝手に暴れまくっている。私は、その理由や原因を考慮して殺し合うのは仕方がないことだと言いたいのではない。この暴力を沈静化させる生物種としての機能をどのように芽吹かせることができるのか、私たちは、生物的身体そのものの構造改革を迫られているのだと思うのである。

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