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わたしの中の幽霊 ~ 三鷹 整体 呼吸法 デトックス ストレッチ


自分のことを思ってみる。そこには、過去のもろもろがある。そこには、日本や世界の人と環境と状況が縦糸横糸となって編まれている。

 

血肉の奥も覗いてみる。血肉の奥襞にはなんとも形容しがたい幽霊のような感性の影が映る。それは「私」以前からすでに存在し、「私」よりはるかに大きな集合的な感性の影である。

 

私の中には幽霊が棲んでいる。私の思考はいつも幽霊に引きずり込まれる。そして幽霊は自らを解剖せよと迫る。

私の中の幽霊現象は、戦後の時代に遭遇した世代の徴のようなものかもしれず、或いは、まったく個人的なこだわり故かもしれない。

 

それでも、血肉の奥襞に揺らめく影は人とモノと自然に備わる日本的なるものの集合的な無意識の断片だと思ってしまうのは如何ともしがたいのだ。私には、そうしたことがどうしても個人的な思考習性だけの所為とは思えないのである。

 

若い時は幽霊に気づかなかった。しかし、世の中を少し見渡せるようになって、

例えば何も臆することなくコロコロと変わる総理をはじめとする大臣たち、例えば公的機関のバラマキや箱物を作るだけの想像力、例えば企業経営者や教育関係者の隠蔽や謝罪の風景、

 

から「責任」というものを考えるようになったとき、日本人の民族特性の一端が見えてきた。幽霊は日本民族の特性を鏡に映したとき、鏡の向こうに映し出される姿として登場する。その幽霊の名を「天皇」という。

 

「責任」と「天皇」とくれば、戦争責任の話になる。が、それは後に委ねたい。ただ、天皇が国民に向かって「私が悪うございました」と謝罪し責任の少しも示さなかったということが、実に日本的な特性を象徴していると思うのである。

 

神代の頃からそうであった。黄泉の国へ恋しいイザナミを追いかけていったイザナギは、絶対に見るなというイザナミの言葉に反して覗き見してしまう。怒り狂ったイザナミの攻撃から逃れたイザナギは黄泉の国の汚れを落とし、そこからアマテラスとスサノオとツクヨミの三神が誕生するお話がある。

 

約束を破ったのはイザナギである。にもかかわらず、彼には罪の意識がなく、謝罪の情もなく、責任も感じずにすっとぼけて身体を浄めて生まれたのが皇祖神となるアマテラスである。

 

日本人が罪や責任の意識に疎いのは神との契約の文化がないからか。それもあるだろう。だが、そもそも日本人は責任の取り方を知らないのではないか。

 

そして、なぜ責任を取ることができないのかを考えれば、それは自分の頭で考えた行為や事柄ではないからだと。

 

自らの言動の根拠もプロセスの展開も結果から生じる副作用やエラーも何ひとつ想像することなく、上からの指令だからとか、これまでそうしてきたからとか、みんながそうしているからという理由で物事を行ってきたのである。

 

もうひとつは、とてもじゃないが責任など最初から取れようはずもないような事柄を隠し通すための曖昧な功術としてなあなあを通し続けるというのがある。

 

つまり、最初から分不相応をわかっていながらの行動だということ。近年の好例としては震災における原発事故に絡む政府、東電、原子力機構の答弁、対応が挙げられるだろう。そして、現在の出口なしの国際情勢に対する政界をはじめとする国自体の方向性にも。

 

自分の頭で考えない、神も同然だから契約もない、責任を取らない、形だけのお詫びで済ますということが私の中ではなぜか天皇の有り様と重なる。

 

そんなことを言うなら「お前は自分の頭で考え、約束を守り、責任を取れる人間なのか」と詰問が浴びせられよう。「そうだ」と答えられるはずもない。なぜなら、私にもそれと同様の感性が隠れているからこそ幽霊が登場してくるのだから。

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