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男性的原理と一神教 ~ 三鷹 整体 呼吸法 デトックス ストレッチ


「爆弾を抱いた神」と「ミサイルに乗った神」のカオス的戦いが続く中、一神教の凄まじさを他人事のように眺めながら、わが日本国は伝統的に多神教の国だと漫然と思っている人が多い。

 

しかし、そう遠くない時代、日本は明らかに一神教であった。細かいことは抜きにして私はそう捉えている。明治天皇が「神」を名乗ったのである。現人神である天皇を奉ずることを第一義とする国づくりを一神教と言わずになんと言おう。

 

そして、日本の一神教の時代は戦争の時代だったのである。日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争とわずか80年ほどの間に5度も殺戮の愚を犯した。

それが開国の延長線上にあるとするなら、日本は国際世界という戦場に引っ張りだされたともいえる。しかし、相手のオウンゴールによる勝利であったことを見誤って大戦に突き進んだ結果、いっとき国は滅んだ。
 

錯誤の反省も責任も取らないまま、そして近年、日本の政治思想に明治モデルの復活が進んでいる。開国時のように世界に打って出ようとする男っぽい志だ。

 

長州閥の末裔がトップに君臨し対抗勢力はほぼ解体状態の現在、日本は「神のいない一神教」ではないだろうか。(もともと日本の国体は一枚岩的ではあった)

 

基本的に一神教は男性的原理の色合いが濃いように思う。が、長きにわたって泰平を維持した江戸ならば、それは女性的原理のオーラに包まれた時代といえよう。

 

士農工商の身分制度のトップに位置しながら江戸時代の武士たちはその男振りを示す場と機会を奪われていた。将軍家を女性原理の象徴のような大奥が操り、武士たちのプライドが消えかかっていた頃、海を渡って 忽然と登場してきたものがある。

 

黒い煙を吐きながら悠々と波を切り船上には睨みつけるように巨大な大砲を据えた艦隊である。黒い煙を吐く煙突と大砲の屹立を見たとき日本の男たちの下半身は震え縮みあがったと想像する。

 

もしも私が幕末前夜に下級武士として生存していたとするならば、私には男根に相似する外国艦隊の洋上風景が男性的原理の象徴として映るのだ。

 

世界の歴史は総じて異民族との戦いと支配に彩られるが、「男」としても事実上ガキ大将の陣取り合戦程度の軟弱な戦いしか知らぬわが日本の男たちは、男性原理の象徴を外なる世界のエネルギーの実相として捉え衝撃を受けたであろうと思われる。

 

そして、維新が敢行される中で日本を襲った男性的エネルギーの背景にあるのは一神教の支配原理であると知り、にわかに天皇現人神を作り強制していった。

 

欧米列強の思惑に操られながらの内戦でバラバラになった人心を再びひとつにするには「神」が必要だったし、それは新しい国の中心でなければならなかった。

 

それにしてもである。古来より宗教は政治(共同体の支配構造)の道具であり、政治は宗教におもねってきた。互いに持ちつ持たれつの関係である。

 

が、日本の明治政府が持ち込んだ神はまったく「教義を持たない神」だった。ということは、政治が宗教におもねる必要がないということ、つまり政治のやりたい放題だったのである。

 

明治は担がれた「神」を頂点とするガキ大将たちの政治だった。そこから、「教義を持たない神」を信奉した明治から昭和のはじめにかけてと、「神のいない一神教化」が始まった平成の現在とが重なって見えてくる。

 

明治の精神が昭和初期の大軍国主義につながったことを思えば、日本が雄々しさをめざす現代は危険な時代だと思うのだ。

 

日本の民族的男性原理には(私にも)「女々しさ」がたっぷりとまぶされているが、現政権のガキ大将ぶりには「女々しさ」の自覚がない。その自覚のなさが、まさに古代からの日本男児の幼稚さを象徴するものであろう。

 

さらに「日本の男たちは女々しい」という言説に強く反発する男ほど、日本の女性的な原理が深く身体化された肝の小さな男なのである。本来、男気というものは、男尊女卑的な考えや振る舞いとは真逆の筈である。

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