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2015戸隠参詣顛末記6(8/17~19)〜三鷹・整体〜


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聖地とはなんだろう。近寄り難くも引き込まれていく場。
あの満天に輝く星々を作り出す自然宇宙の働きは、

宇宙全体からしたら針の穴よりも小さな地球という星の、

そのまた小さなミクロ的地域の一山にも転写される。
たぶん聖地とは地球造山活動における鬼っ子なのだ。

宇宙エネルギーと地球エネルギーの極端な異分子結合。

それは、いわば地球の腫物(異物)としてある。
だからこそ宇宙の未知なるエネルギーとの交流も可能なのだろう。

聖性とは私たちが上手くまとめ上げてしまう意味と価値を微塵に砕く力である。

未知なる共鳴エネルギーは、古代人にとっては怖れと不安に脅かされる意識や

現代人の硬く締めつけられた日常意識からすれば、ときには怪しいものであり、

ときには安らぎをもたらすものであり、ときには危険なものであり、

ときには衝撃的感動をもたらすものである。
古来より人はそれを霊性と呼んだのだ。

現代の「はい皆さん、ここが聖地ですよ、何か感じるでしょおー」

「へーそうなんだ、そういえばいつもと違う感じがするわ」
「わたしお守り買っていこ!」が聖地のしきたりではない。

  

聖地とはその場に身を置くことで、個人史を越えた記憶が蘇えり、

深い感情の不意打ちを食らい、異常な身体の反応が湧出する、

命あるものと場との合作によってはじめて成立するものである。

つまり「物語」が生まれるところである。

ゆえに、聖地巡りとは自らの心の聖地、精神の聖地を旅することともなるのである。

自らの「こころ」を残して聖地に向うものではない。
人にとって聖地とは自分の心の異界探訪のためにある。

私たちが自然宇宙に帰還する宇宙船に乗り込むことの準備訓練としてある。
それは、ある意味「死への準備」ということだ。

生きるということがすべからく「死への準備」となるならば、

私たちは自らの全エネルギーを使って生き切らなければならない。
自分の心の中の異界を訪ねてみれば、

そこにはいつも崇高な死の匂いが漂っていることに気づくだろう。

腐臭とは対極の聖地と同じ匂いが・・・

人は自由を渇望する。

不自由感はたくさんの遮断されたエネルギーからもたらされる。

私たちは遮断のネジをゆるめて戸隠に行く。
隠蔽されたエネルギーが解放されたとき戸隠は聖地となる。

そこに発生する出来事や登場する人物はみなパズルのワンピースだ。
それをどう嵌め込んでいくか、今そこに見える形で存在するものと人や場の記憶や思い出、

感情や想像とのコラボレーション。th_SH3E0127 
「物語」とはそのようにして作られる。

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